自己紹介から

そうね…どこから書き出したらいいかしら
オカマなんだけどUberEatsを始めて少し活動的になったわ。
それまではいろいろ職も転々し、幼少期も親の虐待、教員の虐待、いじめ、自殺未遂を幼稚園から中学生まで受けてて毎日地獄
男友達もおらず、女子と遊んでた記憶ばかり

家を出たくてもお金がないし、きっかけもないしでほんとに苦労した。

ただ、なぜか親の奨めでヘルパーの資格を取って障害者の訪問介護を始めたら不思議と溶け込んだわ。
理由は後述するわ。

さて、私の人生の転機が訪れたのがヘルパーをし始めて5年くらいして管理職や経営にも口出すようになってから体調を崩して、適応障害と診断されたのが2013年頃ね。
そこからまた人生が狂いだしたわ。
病院の治療を受けても改善せず休職しても改善せず仕事原因かと思って、離職して両親の許可をもらって2017年に出身の岡山県で障害者の就労支援事業所で職員として働いたけど、精神障害者がほとんどだったのね。
私は事業所から数キロ離れた山奥のパン工場に午前3時に利用者を送迎して6時~13時までパンの製造や移動販売
13時に利用者の送迎をして、作業所で他の利用者と作業して、17時にまた送迎して19時に退社するサイクルだったわ。

私も適応障害と言われてたから利用者の悩みに真摯に受け止めてアドバイスしてたわ。
特にパン工場で働く利用者さんと
そんなある日にある利用者から私に対する苦情が続出
気がつかないうちに特定の利用者だけ悩み相談受けてたのが気にくわなかったみたい
そんな折、コンサルタント契約してた、就労支援事業所が一斉に閉鎖して障害者220人と職員数十人が解雇されたわ。
閉鎖した事業所の理事長や市長や知事が受け入れを養成されたので、私が携わっていたパン工場を閉鎖
閉鎖した事業所が市街地で直売所兼工場を無償提供し、元々契約してた学校、企業等の売り先も引き継ぐ、ということで、工場で働いてた職員と利用者を再雇用されて、私は不要と解雇されたの。

慌ててて再就職先を探し、放課後デイサービスを全国展開してる会社にヘッドハンティングされて京都に退職されて定員空いたからと言われて入入社したら、そこも地獄
女だけの職場でね、わからないことは聞いても喧嘩腰に拒否されたり、イビられたり、なぜか退職した社員が復職して、また、解雇
そこから路頭に迷い、コンビニ、工場、タクシーの社員をして2019年に京都市の精神科で「自閉症アスペルガーADHD、知的障害、躁鬱病」とこれまで言われずもしかしたらと思ってた病が診断されて今に至ります